私はネットワークのプロで、K氏は相場のプロだった。
2人の相性とビジョンは一致し、念願の投資ネットワークをスタートさせる事になった。


だが、私にはビジネスを紹介できる人脈が残っていなかった。
D社に参加してくれた最後の人脈に、「D社をクビになったから新たなビジネスを立ち上げました」とは言えなかった。
それで、K氏がD社の時のダウンの1人を紹介してくれて、そこから地味に地道に広まっていった。
K氏のプロフィール

私のプロフィール


利益はK氏と折半の予定だったが、K氏は「俺は大丈夫だからルシファー君の生活費に使えばいいよ」と言ってくれた。
しかし、かつて大成功を収めてイケイケだった私が、1人も紹介出せないとはあまりにも情けない。
その時、たまたまD社に参加してくれていた知人I氏から連絡があった。
そして、一連の事情を話して、新ビジネスの資料と登録用紙をFAXした。
だが、その人は紹介力がなく、登録しただけで終わっていた。

その頃、私は平氏のメルマガを読んでいて、『ブレインダンプ』を実践した。
http://world888.seesaa.net/article/166484879.htmlそして、森田健氏の不思議研究所から『太極八卦キーホルダー』を購入した。

と同時に、I氏の紹介でS氏という人物が登録してきた。
S氏は私の京都の知人で、そこそこの組織力を持っている人物だった。
そして、その日のうちからS氏の紹介で断続的に登録ラッシュが始まった。
これは『太極八卦キーホルダー』の効果に違いないと思った私は、『太極八卦鏡』と『太極八卦鏡(大)』と『財運ストッハー』を購入した。
もちろん、K氏の分も購入し、実家にも送った。
そして、毎日200万〜300万円ベースの売上げになり、200万円以下という日はなかった。
郵便局の口座を利用していたので、土日も関係なく振り込まれ、多い日は500万くらいの売上げがあった。

ここで注目したい事は、私もK氏も売上げを上げる為に「努力」をしていなかったという事である。
私とK氏がやった事は、力のない人を1人ずつ登録させただけである。
もちろん、「努力しなければ成功する」という単純な話ではなく、「努力をしない」という事には深い意味がある。
その事はゆくゆく解説していくとして、どれだけ頑張っても結果が出ない時もあれば、努力をしないのにフィーバーが止まらない事もある。
まさにパチンコだが、人はそれを「運」や「バイオリズム」などと呼ぶ。
要は、流れに乗った時に全てが自動的に稼働するのである。
但し、売上げを上げる努力はしなかったが、入金確認や登録業務やコミッションの振り込みに大変な労力を要した。
また、大きな組織を持っている全国の大物ネットワーカーが続々と参入し、名古屋まで我々に会いに来くるので外交でも忙しくなった。
私は金髪で顎髭を伸ばしていたので、初対面の人たちは怪訝な顔をしていた。
しかも、私はいつも決まってビールを注文し、何杯もお代わりをして酔っ払いながら話をしていた(笑)
だが、私やK氏と話をして、信頼できる会社だと安心してもらう事が出来た。

私はホームレスとは全く正反対の道が開けて運勢が急転換したのだが、不食と瞑想は続けていた。
ところが、その当時は気づかなかったのだが、私は以前にも増して「慢心」になり、肩で風を切って歩くようになった。
また、外交の時に会員の人たちから或るビジネスの話をよく聞かされていた。
そのビジネスは全国を席巻して怒涛の勢いで広まっているとの事だったが、私が主宰しているビジネスも同等に知名度があり、その2つが対比されて業界の話題になっているとの事だった。
そして、そのビジネスの資料を見せてもらうと、京都時代に私が考案したビッグプロジェクトと酷似していた。
いや、完全にパクリだった……という事は、その主宰者は獣の知り合いという事になる。
実際、そのビジネスのホームページを作成したという人物にも会ったが、主宰者の名前は明かさなかったが私の知人との事だった。

それで私は憤りを抑えることが出来なくなってしまっていた。
仕組みだけ真似をしても実際にまともな運用が出来る訳がなく、向こうは明らかに虚偽の誇大なビジョンを謳っていた。
それで私は、そのビジネスは詐欺まがいのインチキだという事を人々に警鐘を鳴らし続けていた。
とりあえず、私が仕掛けたビジネスもアメリカに拠点を置いて、第2弾として本格的な世界展開を準備し始めた。
まず、ハワイ法人を設立し、親会社という事にした。

図形からパワーが発生していて、会社のロゴマークで業績も決まるそうなので、岡田達雄氏に38万円払ってロゴマークを作ってもらった。

ハワイ銀行のコーポレートカード

ちなみに、ハワイ銀行は年利3〜5%だが、当時、最も安定成長していたラトビア共和国のオフショアバンク「ラテコ銀行」(年利7〜8%)のデビットカードも個人的に所有していた。


何故、会社登記にハワイを選んだかと言うと、永住権が取れるからである。
そして、どこかの島を買って国を造るという計画を立て、K氏も賛成してくれた。
と言っても、建国は目的ではなく「手段」だった。
手段という事は、当然ながら建国以上の大きな目的があったのだが、その事については別の機会に話そう。
「目標を持ってはいけない」という話と矛盾すると思うかも知れないが、そうではない。
その事についても、順を追って解説する。

さて、日々、心の浄化に努めながらも、それは湧き上がる悪想念を浄化していただけで、悪想念が湧かないような根本的な自己変革ではなかった。
また、当時は内観の習慣がなかったが、内観というのは普通はドン底の時にしかしないものである。
次々にお金が振り込まれて来て超多忙な状態で、「慢心」「嫉妬」「怒り」という感情に気が付かなかった。
愚かにも、私は同じ過ちを繰り返していたのだった。
だが、売上げは一向に減る気配はなく、むしろ会員数の増加と共に勢いを増しているようだった。
それは、会員利益を主体として、人々の喜びを第一とするポリシーは変わっていなかったからだと思われる。
これは平成17年10月13日、私の状況を母に教える為に、K氏とのメールのやり取りを実家にFAXしたもので、母が残していた。


自由時間も殆どなくなり、毎日20時間くらい作業をする生活が続き、それでも業務が追い付かなくてクレームも多くなってきた。
登録用紙が届く度に憂鬱になり、売上げに嫌悪感さえ覚えるようになった。
もちろん、その時点で業務委託して、お金だけ入ってくる仕組みにしていれば問題なかったのだが……。
1年間の縁故募集期間が終わったら第2弾に移行し、業務委託をする予定だった。
しかし、それまで身がもたないと判断した私は、『財運ストッハー』に「お金はもう要らないから時間を下さい」と強く願い続けた。
郵便局から届いた通帳記載内容

この中には「合算」というのがところどころにあり、その合算の明細は別の用紙で送られてきていた。
http://kemono666.seesaa.net/article/239240931.html別の合算明細表


その時の私は、お金よりも時間が大切である事を身にしみて思い知らされた。
「あの時、ホームレスになっていた方が良かった」と本気で思った。
しかし、相変わらず売上げが減る事はなく、縁故募集を半年で打ち切るという手段を断行した。
すると、案の定、縁故募集終了と共に、新規登録がピタッと止まった。
ちなみに、『財運ストッハー』や『太極八卦鏡』を推奨している訳ではない。
部屋の陰陽バランスを調整したり、エネルギーを高めるのには役立つと思うし、運命の変更も起こり得ると思うが、当然ながら成功の必須アイテムという訳ではない。
私は『太極八卦キーホルダー』を何個も買って、縁ある人々にプレゼントしていたが、「確かに良い事が起きた」という人と「何も変化がない」という人と半々だった。
その事についても、別の機会に詳述したいと思う。

会員利益を主体としていたので90%以上コミッション還元をしていたが、クーリングオフ期間内にコミッションの支払いをしていたので、クーリングオフがあって上位者が返金してくれないこともあった。
意図的に組織的にクーリングオフをするグループもあって、結構マイナスにもなったが仕方がない。
それから、「第2弾のスタートまで暫くお待ち下さい」という通達を出し、構想を練りながら休暇に入った。
通帳記載内容の一例




そして、不食をしながらボディビルダーになろうと思い、D社の会員でボディビルをしていた隊長(アダ名)を思い出した。
隊長は私の1つ上で、隊長とも仲が良かったので友達になろうと思った。
隊長はK氏のダウンだったので、K氏に隊長の連絡先を教えてもらって連絡を取った。
すると、隊長は居酒屋のオーナーだったので、K氏と一緒に飲みに行った。
隊長も色々な大物の人脈を持っており、ボディガードとしても頼りになるので、私の会社の副社長にならないかという提案をした。

ちなみに、私はアメリカ本社のCEOなので、(外見の問題もあるので)日本では会長という事にしてブラックボックスに隠れ、K氏を社長として立てていた。
そして、隊長を副社長として迎え入れる事になった。
それから毎晩のように、隊長が仕事を終えてから一緒に飲み歩くようになった。
私は街外れに住んでいたので、街に引っ越すように勧められた。
隊長は名古屋の飲み屋街にあるゴージャスなホテルに住んでいたので、私も年間契約でそのホテルに住む事になった。
だが、第2弾として設立した投資会社はなかなかスタートせず、気が付けば設立から2年近くが経過していた。
このエントランスの天井一面にシャンデリアがあった。

余談だが、その頃、久しぶりに京都の知人T氏に電話すると、すぐに名古屋に駆けつけてきた。
特に用事はなかったそうだが、私がどうしているのか気になっていたらしく、久しぶりに会いたいと思っていたとのことだった。
T氏はゴルフ会員権のネットワークの理事をしていたが、私の昔のマーケティングノウハウに感心して参考にしていた1人で、リスペクトされていた。

ちなみに、私も投資のつもりで会員になっていた。

29歳の春、私は以前から参加したいと思っていた内観セミナーに参加した。
それによって、自分の使命を自覚した。
自覚と言っても、それは以前からの夢で、建国の後に続く社会貢献・人類救済事業である。
その為に、NPO法人を創ろうと思い付いた。
そして、投資事業で得た利益をNPOに流し、世界を改造していくというビジョンが明確になった。
だが、ビジョンが明確になったら、一旦それを手放して忘れる事が21世紀型成功哲学である。
とりあえず、莫大な資金が必要という事だけは確かで、私も資金が枯渇してきたので、そろそろ第2弾をスタートさせないといけないと思っていると、例のパクリファンドの情報が入って来た。
何と、3年間で300億円集めて、まだまだ勢いが衰える気配がないという。
更に、その枝分かれの会社も1ヶ月で60億円集めたりしているという話を聞いた。
地位の高い資産家たちが億単位で投資しているという事だった。

私は、そのうち大規模な社会問題になると予想していたが、さすが資金力である。
明らかに作り話としか思えなかった事業内容を実現していたのである。
悪口を言う訳ではないが、私の構想をパクッたのはいいが、それを少し形を変えて大きな作り話で始まった詐欺ビジネスだと思ってた。
確証はないので断言は出来ないが、私の目から見ると完全にインチキだった。
ところが、どれだけのお金を掛けたのか知らないが、オフショアバンクを設立してカードの発行も始まっているとの話だった。
つまり、もともと有りもしないような詐欺まがいだったのが、圧倒的な資金力によってビジョンを実現したという事である。
いずれにしても、私の構想をパクッて先手で仕掛け、私は貯蓄が底を尽きかけているのに、その会社は大躍進をしているという状況を許せなかった。
その後、その会社は5年で500億集めたという情報が入ったが、年間100億のペースということは、順調に行けば10年間で1000億円を達成する事になる。
まさに、私が最初に構想を練った時に確信した数字である。
皮肉にも、それが自分の会社ではなく、他人の会社が実現しようとしているのだ。

今の私からすれば、誰が実現しても同じ事だが、同時は自他の分離観念を持っていたので激しい悔しさを感じた。
「他者と比較してはイケない」とか「他人の成功を羨んではイケない」とか知識では知っていたし、知識だけではなく名古屋に来てから「体験」として思い知らされたはずだったが、そんな事もスッカリ忘れていて、そのような自分の想念にも気づかなかった。
単なる瞑想やインスタントな内観では、根本的な「自己変革」は無理なのだ。
そして、急ピッチで第2弾を仕掛けようと思ったが、更なる野望を抱き、ハワイ法人は親会社の奥の院という位置付けにして、今度はデラウェアに投資会社を設立した。

その日本代行センターとして別会社を用意し、更に、その関連会社として投資顧問会社を設立し、証券会社と提携して打ち合わせを重ねた。
その前段階でのK氏からのメール


資金が残り少なかったので、予算100万円でシステムを作ってくれる優秀なSEを確保し、希望通りのシステムを作ってもらった。
全自動の為、登録が殺到しても全く問題なく、配当の振り込みも銀行に委託して、前回のような地獄を味わわなくていい仕組みを作った。
ビジネスプランやファンドの内容も他社追随不可能な理想的なプランで、いよいよスタートとなった。
初日の売り上げは約1000万円で、予想よりも大幅に少なかったが、日増しに激増の一途を辿るだろうと期待していた。
ところが、2日目から一気に激減し、それ以降、数件の登録がポツポツとあったりなかったりで、不発に終わってしまった。
ガッカリすると同時に焦りもあったが、どうすることも出来ない。
私が必死になっている事に気づいたK氏に、「金をぼっちゃいかん!」と叱られて、ようやく私は目が覚めた。
「目的よくても実行の時に悪い念入ると悪魔に魅入られるぞ」(日月神示)

K氏は金銭欲や物欲が殆どなく、私もそのようになっていたが、世界改造という夢を叶える為には無限の資金が必要で、私はその夢の実現に固執し過ぎていた。
また、その無限の資金を得る為の手段であるプロジェクトが思い通りにいらず、ライバル会社に対して嫉妬と憤りを抑えられなかったのだ。
プラス思考で悪想念を制圧するのは、最もしてはいけない最悪の愚行だが、瞑想で悪想念を浄化するのも表面的なものに過ぎない。
嫉妬と憤りの芽を摘む為には、その根本原因を解決しなければならない。
嫉妬も憤りも、他者との比較、つまり分離観念が原因である。
また、それは自分の思い通りにならないからで、その原因は夢や目標や願望に固執している事にある。
それは個人的な金銭欲ではなく、地球を守る為、人類を救う為なのだが、その手段である金を追い求めるあまり、冷静さや謙虚さを見失っていたのだった。
そして、プロジェクトの不発に追い討ちをかけるように、もう1つの災いが発生した。

プロジェクトの売上げの内、400万円を証券会社に預けていた。
初月で4億円預けると翌月頭に100万円プレゼントしてくれるという話だったので、私は「低く見積もっても毎月10億円くらいは預けられる」と豪語していた。
だが、蓋を開けると400万円ポッキリしか預けられなかったので、支店長も呆れていたのだろうか……。
K氏の指示通りに運用せず、勝手に適当な売買を繰り返されて資金ショートしてしまったのだ。
それによって、最後の希望までもが撃沈した。
たとえ400万円と言えども、K氏のシステム通りに運用すれば、短期間で何倍にも殖やせる為、プロジェクトは失敗したとしても大きな希望は残されていたのだ。
明らかに証券会社の契約違反なので、裁判所に相談に行った。

しかし、返金させるのは難しいと思われるとの事で、証券会社まで直々に談判しに大阪に向かった。
論争は何時間にも及んだが、我々も投資家に返金しなければならないので引き下がる訳にはいかない。
結局、弁償してもらえなかったが、投資家に事情を説明して何とか一件落着となった。

尚、会社利益は300万円ほど残っていたが、隊長の希望でBARの開店資金として投入した。


当然ながら、BARから利益が上がってくる期待は出来ず、ついに文無しに戻り、酒を飲んでお金が貰えるバイトに行った。

酒を飲んでお金が貰えると言っても、私にとってはとても惨めな仕事だった。
それ以前に、2度目の転落によって、少し惨めな想いを持っていた。
だが、プラス思考によって、マイナスの感情を払拭した。
しかし、経営者というプライドがあり、二度とやらないと決めていたバイトをせざるを得なくなった。
それ自体も惨めだったが、接客業というのは下手(したて)に出なければならないので特に惨めさを感じる。
しかし、それも「慢心を克服する修行」だとプラス思考に切り替えた。
また、お金を払って話し方教室などに通う事を考えると、話術を磨きながらお金が貰えるというプラス思考に切り替えた。
そう思って頑張り始めた矢先、20歳の若者が酔っ払って喧嘩を売ってきた。
お互いにアルコールが入っていたせいもあるが、見下されてキレた私は暴力事件を起こしてしまった。

実は、その少し前にもプライベートで暴力事件を起こしていた。
いずれも警察問題にはならなかったが、殺人未遂事件だった。
27歳の時に天人合一をして人間性が変わり、その後も精神修養を続けてきたので、殺人衝動など起きる訳がないと思っていた。
だが、深層意識にはその種が残っていたようで、2度目の転落によって発芽したのだろう。
そして、アルコールによって理性を失くし、潜在意識の扉が開いている時に、その毒芽に刺激を与える言葉を掛けられて爆発したのだ。
少し詳しく話すと、小学校の頃に転校してイジメられていた私は、中学に入って道を外れ、その後、その道で成り上がった経験があるので、そのようなプライドも残っていた。
事業で成功して少しお金を握ったというプライドもあり、2度目の転落という惨めさもあり、そこにアルコールが入っている時にバカにされたような口を聞かれると、刑務所覚悟で本気で殺してやろうと思うものだ。

だが、それも「必然・必要・ベスト」な出来事で、結果的に良かったのである。
まず、被害に遭った2人は、今後、人に暴言を吐いたりする事を戒めるだろう。
また、その2人には、殺されかけて痛い目に遭うというカルマがあったのである。
そのカルマを私が摘み取ってあげたのだ。
傲慢な言い方だが、客観的に観ると、そういう事になる。
それで、その2人が被害を受けて腹を立てたのなら、新たなカルマを作る事になるが、その件に関しては2人とも深く反省したはずである。
少なくとも、1人(女性)は反省し、以前よりも私に熱愛するようになった。
もう1人の20歳の少年も、人づてに「反省しているようだ」という話を聞いた。
当然ながら私自身も深く反省したが、それも「傷害事件を起こす」というカルマの結果であり、私が悪い訳ではないのである。
世の中の犯罪者たちも、皆カルマの結果として犯罪をさせられているのだ。
あなたが日々発する悪想念も、そのような想念を発するというカルマの結果なのだ。

カルマとは「原因」の事で、ホ・オポノポノで言う「記憶」である。
それは過去世の記憶かも知れないし、先祖の記憶かも知れないが、潜在意識と遺伝子にインプットされている「情報」である。
それによって私は、「プラス思考の危険性」を実体験し、「意識の持ち方」というものを深く考えさせられた。
問題は、潜在意識の記憶(カルマ)は無尽蔵だという事である。
深層意識を浄化しなければ、本当の自己変革は出来ない。
私は本当に根本的な自己変革をしたかった。
その時、本棚の『絶対変革』という本が目についた。
何年も前に買って、まだ読んでいなかった本である。
その本を拾い読みして、「これしかない」と感じた私は、それに書かれているネオデジタル内観を実践し始めた。

話をまとめると、2度目の転落も、実は「成功」だったのである。
私は以前、「金は要らないから時間が欲しい」と強く願ったので、それが実現したのだ。
また、この時にプロジェクトが大成功していたら、やはり今の私はない。
今後の大成功の為には、まだ「失敗」と「挫折」を経験する必要があり、また、それによって一歩間違えれば人生を狂わせるような事件を起こした事も「必然・必要・ベスト」だったのだ。
何故なら、それが「ネオデジタル内観」を始めるキッカケになったからである。
私が今まで築いてきた知識や人生観が崩壊した。
つまり、「自己破壊」が始まったのである。
そして、凄まじい試練が降りかかって来る事になったのだが、この話は普通の人には理解できない異常な体験なので、ここでは割愛する事にする。
そして、『日月神示』を手に取った私の目に、次の記述が飛び込んで来た。
「そなたはこの神と極めて深い縁があるのぢゃ。
縁あればこそ引き寄せて苦労さしてゐるのぢゃ。
今度の御用は苦の花咲かすことぢゃ。
真理に苦の花さくのであるぞ。
因縁のそなたぢゃ、一聞いたら十がわかるのぢゃ。
云われんさきに判ってもらわねばならんぞ」